ひとくち法話

尊いいのち

 『探偵!ナイトスクープ』というテレビ番組があります。視聴者から寄せられた依頼を、タレントさんが探偵局員として調査するという内容です。ある回でこんな調査依頼がありました。《近頃SNSでよく見かける「生きてるだけで偉い」という言葉。人は本当に生きているだけで偉いのか?偉くないのか?その答えを見つけてほしい》というものです。この疑問を解決するため探偵が街の様々な人に意見を聞いた結果、「頑張って生きてないと偉くない」「生きてるだけで偉いとは思わない。何か世間の役に立ってないとアカン」という意見が大半でした。
 私たちは生活の中で常に比較されて生きてきました。子どもの頃は「テスト100点取ったらえらい」「徒競走1等になったらえらい」と勉強やスポーツのできる子が認められ、社会に出れば会社にとって役に立つ、会社に利益をもたらす人が重宝されます。常に比べられ、強くなれ、賢くなれ、役に立つようにと何かを求められるのが社会の現実です。そんな環境の中で「自分は頑張れていない、役に立っていない」という思いに捉われ、「ただ生きてるだけで・・」と自分自身を認めることが出来ないでいるのが私たちの姿かも知れません。
 一方で、公園で2歳の男の子が遊んでいるその傍らで見守っているお母さんがインタビューに答えてくれました。「生きてるだけで十分じゃないですか。偉くないってなると生まれて
きたこと自体を否定してしまう。この子が元気に生きてくれてるだけで十分えらいです。有難いです。」何か嬉しいなぁと思いました。私はそう思えなくても、親にとってはかけがえのないいのちなのです。私のことをそのまま認めてくれる存在があるのです。あたたかいまなざしで愛情を注いでくれているのです。
「生きてるだけで偉い」この“偉い”という言葉は、“すぐれている”という意味があり、他と比べて用いられる言葉なので、ここは“尊い”と言った方がしっくり来るように思います。“尊い”とは“存在自体が素晴らしい、価値がある”という意味です。そこに他と比べる意味合いはありません。
 阿弥陀如来という仏さまは、男の子を見守るお母さんの様に私とご一緒してくださいます。「弱くてもいいよ。愚かでもいいんだよ。あなたが大事なんだ。あなたが今ここに生きていることが尊いことなんだよ」。テストで100点を取ることは素晴らしいことですが、60点の人が100点の人より劣っているということではありません。仏さまから見れば、あなたの存在自体が素晴らしい。みな等しく尊いいのちなのです。私のいのちに注がれている仏さまのまなざしが、私の居場所を与えてくださるのです。