光輪寺のご紹介

お寺とは

 お寺は何をするところなのでしょうか。
葬儀や法事を行うところ。先立った方を偲びつつお勤めをするところ。
お墓や納骨堂を管理するところ。様々な行事や催しを行い、門信徒・地域の人たちが集まるところ・・。
 その様なイメージで捉えられていると思いますが、それだけの場所ではありません。
 本来、お寺は仏さまの教え、特に浄土真宗は阿弥陀如来という仏さまの教えを聞かせていただくことを最も大切なこととさせていただきます。
 仏教・浄土真宗の教えを通して、恵まれたいのちを喜び、こころ豊かに生きてゆくことを目的とした場所、それがお寺であります。
 その教えを聞き、喜び、その教えを大切なことととして仰いで生きる方々が、明るく楽しく集う場所であること、それがお寺の第一の存在理由です。
 お寺に参り、法話を聞くというと難しいイメージがありますが、聞くことを重ねていく中でものごとの受け取り方や感じ方というものが少しずつ深まってゆきます。
 お寺はどなたでもお参りいただけますので、どうぞお気軽にお参りください。

光輪寺の歴史

 光輪寺は三重県三重郡川越町高松にある、浄土真宗本願寺派(お西)の寺院です。
 光輪寺の前身は、垂坂にあった天台宗の寂禅坊であり、応仁元年(1467)蓮如上人の教化により住職であった玄道が浄土真宗に改宗したと伝えられています。
 寛永18年(1641)、桑名藩松平定綱より境内地を拝領。朝明郡高松村(現在地)に寺基を移転し、寛文9年(1669)に本山より「光輪寺」の寺号を賜わりました。
 その後、宝永4年(1707)の宝永地震による洪水や、安政元年(1854)の安政の大地震などによって本堂、鐘楼、山門が倒壊したこともありましたが、門信徒皆様のご尽力により、安政4年(1857)に再建されたのが現在の本堂になります。

光輪寺のご紹介

経蔵
寺院において経典や仏教に関する書物を収蔵する建物。
光輪寺経蔵は明治35年、13代住職 善俊の時に建立されました。
昭和34年の伊勢湾台風による浸水の被害を受け、収蔵された書物は現在その一部が残るのみとなっています。
   明治時代の光輪寺経蔵
傅大師
中国の梁の時代、転輪蔵と呼ばれる回転式の本棚を考案し、仏教を民衆にとって身近なものとされた方ということで、普健、普成の脇侍とともに、経蔵に傅大師像が置かれています。
梵鐘
梵鐘に「寛延3年 釋玄秀」と刻まれています。玄秀は第8代住職になります。
この梵鐘は、戦中の梵鐘供出を免れたもので、平成14年に現在の新しい鐘楼・梵鐘ができるまで使用されていました。