ひとくち法話
帰る場所 浄土真宗は、阿弥陀さまが私をお救いくださるというご法義です。阿弥陀さまは南無阿弥陀仏という名となって私の人生をご一緒してくださいます。そしてこの世でのいのちが尽きたらお浄土に往き生まれさせ、私をさとりの身(仏)に仕上げてくださるというご法義です。 お浄土に往き生まれさせていただくことを、私たちは「お浄土に帰る」という表現をいたしますが、以前この「帰る」ということを考えさせていただく機会がありました。 母方の祖母の95歳の誕生日をお祝いするため、家族で母の実家を訪ねた時のことです。お祝いをしたその帰りの車中で、母がポツリと言いました。「お母さん(祖母のこと)が亡くなったらもう実家に帰れなくなってしまうね~」。けったいな事を言うなぁと思いました。たとえ祖母が亡くなったとしても、川島という場所や、生まれ育った家がありますし、母の妹や姪っ子夫婦もいますから「帰れなくなることはないでしょ・・」と私は思いましたが、その横で妻は得心した顔でウンウンと頷いておりました。 帰るという言葉は「あるべき場所に落ち着く」、「安心できるところに行き着く」という意味があります。母にとって安心できるところとは何でしょうか?確かに生まれ育った土地であったり、家であったり、その様な自分にとって懐かしさや思い出のあるものもそうかもしれません。しかしそれだけでは本当の意味で安心できることにはなりません。本当の意味で安心できる場所となるもの、帰ったことを味わっていけるもの、それは「おかえり」と私をあたたかく迎え入れてくれる存在ではないでしょうか。それが母にとっては祖母であったのです。「おかえり」と無条件で迎え入れてくれるから安心して帰っていくことができるのです。「おかえり」と迎え入れてくれる人がいなければ、もう安心して実家に帰れない、実家が帰る場所ではなくなってしまうということなのかもしれません。その母の心情に嫁いで来た妻も共感したのでしょう。 阿弥陀さまのおはたらきを場所、世界として表現しているのがお浄土です。そのお浄土には先に往生された懐かしい方々が、すでに仏さまとなって私たちを待っていてくださっている。「おかえり」と言ってあたたかく迎えてくださる存在があるから、お浄土がまた私にとって安心して帰っていける場所となるのです。 そしてお浄土に一人で行くのではありません。阿弥陀さまが私をお浄土に抱い てかかえて連れてくださいます。お浄土が私自身まだ行ったことのないところであったとしても、今ここで阿弥陀さまが私とご一緒してくださってあるから安心して「帰る」と味わっていけるのです。 ![]() |